日本の美と江戸指物

これから述べることは、私の独りよがりかもしれません。そうであるとしても、私はこの説を否定することができないのです。後は、皆様のご判断にお任せいたします。

店主

 

■日本人が日本で暮らす暮らし方には、次のような特徴がある。

  1. 先祖と子孫とともに暮らす。
  2. 四季の移ろいを味わう。
  3. 室内空間の何通りもの使い分け。

 

■これらの特徴の根底には、次のような日本人の感性がある。

  1. 一つ一つの現象よりも、「時の流れ」「時の移ろい」に美を感じる。(もののあわれ、さび)
  2. 自然はすべてを含んで一体である。(「間」の文化、変化の中の調和)
  3. 語らずに通じ合う境地。(無常観、潔さ、侘び、秘すれば花)

(「型」と日本人、武光誠著、PHP新書参照)

 

■しかし、現代には、日本人の感性を鈍らせるものがある。

  1. 季節の変化の無視。一年中定温、定湿度。
  2. 部屋の固定化。家具・電化製品の固定化。

 

■社会が人生劇場であるとするならば、家とは人生の楽屋である。

江戸指物は、日本人が自分の部屋に戻って、心と体をリフレッシュさせるための道具」であったし、これからもそうあるべきである。
外に出て、満足感を得られる刺激を求めてばかりいると、だんだんくたびれてきて自分を見失ってしまう。その時こそ自分の楽屋が必要となる。楽屋に帰ればその日の汚れをきれいに洗い流し、化粧を落として素の自分に帰り、ゆったりと保たれた自分の間に浸り、心と体をリフレッシュさせることが出来る。
寒い冬に暖かい土地で過ごし、暑い夏に涼しい土地で過ごすことは、確かに人間の心を満足させる。常に一定で快適な環境で毎日を過ごせることは、幸せなことである。
しかし、現実は幸せなことばかりではない。暑い夏に、毎日エアコンの効いている部屋に長い間いると、冷房病になりやすくなる。体が冷えるのである。寒い冬に、毎日暖房の効いた部屋に長い間いると、乾燥で喉をやられる人が多い。
木材も、エアコンの効いた部屋に入れっぱなしだと、空気に触れている面だけが乾燥で収縮したり割れたりする。
だから、江戸指物師は、エアコンの効いた部屋で長時間仕事をしない。板材は、常にひっくり返して、片面だけの乾燥を避けている。人間も木も、季節に育てられたのだ。四季の中に身を置くことが、もっとも人間を幸せにするのだ。

 

■日本には、古代中国から伝わった「二十四節気」というものがある。

一年を24の季節に分けたものである。二週間に一日は、新しい季節として気持ちを切り替えてみてはいかがだろうか?その日は、窓を開けて部屋の空気を外と同じにし、大自然と一体になってみてはいかがだろうか?
きっと、家具も、自分自身も、リフレッシュするに違いない!その日は、旬の野菜や魚を食べよう!そして目をつむり、大自然に感謝を捧げよう!

 

■江戸指物ってなんだろう。「えどさしもの」と読みます。一言で言えば、「日本の木の美しさを表現した家具」なんです。

 ここで問題です。家具ってなんだろう?日本の木のどこが美しいのだろう?

まず、「家具」とは、「家の道具」という意味です。家は人が生活する場所ですから、家具は「人間が生活するための道具」ということになります。家具は人間の生活に、「役立つ」「必要最低限」「ゆとりが得られる」「生活を飾る」「なくてはならないもの」「ともに暮らしてゆく友のようなもの」等々によって、見方が変わります。私たちは、それらの中から、自分にふさわしい要素を選択して家具を選んでいるのです。

「日本の木の美しさ」は、どこにあるのだろう?日本人は、昔から木とともに生きてきました。木で家を建てました。夏の強い日差しと湿気を避けて、よく風が通る家です。冬はとても寒いので、木を燃やして暖をとりました。その後、木から炭を作ったり、家具を作ったりしました。それは、木が石や鉄よりも暖かく、湿気を吸ったり出したりしてくれるからです。また、木が石や鉄よりも柔らかく、加工しやすかったからです。
実際、日本で暮らすことは、他の国と比べて大きな違いがあります。美しい四季があるけれど、夏は蒸し暑く、冬は乾燥してとても寒いことです。また、6月頃には梅雨が続いて、住まいや食物がカビ易くなります。10月には台風がいくつも襲ってきて大雨が降り洪水が起こり、冬には大雪が積もります。
このような厳しい自然環境の中で、日本人は、家の周りに木を植えたり、近くの山の木を伐ったりして、家や家具を作ったり、燃料を作ったり、さまざまに木を利用して暮らしてきました。
そうやって暮らすうちに、日本人は、木から平らな板を削りだしたとき、木の伐り方によって木目模様がいろいろに変わることに気づきました。日本人は、その模様にそれぞれ名前をつけました。まず、柾目と板目に分けました。柾目はまっすぐな線だけで出来ている模様です。板目にはいろいろな模様があり、日本人はそれぞれ、たけのこ目、玉目、ギン目、縮れ目…など、たくさんの木目の変化に名前をつけていきました。そして、その木目を「美しい」と感じたのです。
最も、木目の美しさは日本人だけが気づいたのではありません。特に欧米や韓国などが、木目を表に出した家具や扉を作っています。中国では、漆のほうが発達して、黒や朱の漆で塗装した家具が多く、木目を隠した家具が中心となっています。東南アジアやインドでは、硬い木が多く、木は柱や骨組みに使い、全体に木彫を施したものが多く、また、中近東からアフリカにかけては、木が少なく、大きな板面を得ることが出来ないので、木目を強調した家具は少ないようです。
ともあれ、木の国日本だからこそ、様々な木目に名前をつけ、生活に取り入れていったと思います。

ところで、木目をより美しく見せるには、どう表現すればいいのでしょうか?日本人の表現の仕方は独特です。欧米では、美しいものは、より美しさを強調しようとします。
しかし日本では、美しいものを隠そうとします。だから、木目を強調した家具は作りません。日本人は、不自然なものは美しくないと思っています。それがどんなにきらびやかなものであったとしても…!
日本では、非の打ち所のない完全な美しさは美ではないのです。飽きるからです。また、時間がたつと褪せてくるからです。完全な美とは、儚いものであることを日本人は良く知っていました。
日本人は、「自然と一体化しているもの」をこそ美しいというのです。自然と共にあり、自然に朽ちていくように作られたものをこそ、美しいというのです。
だから、木目も、そこにあるのが自然に見えるように作ります。あたかも、自然の一部を削り取ったかのように見えるように作ろうとします。なぜなら、自然は自然だからです。そこにあって何の違和感もないもの、何の手も加えていないかのように見えるもの、そして、長い人間の人生と共に、長い時間をかけて育ち、また朽ちていけるように作られています。

そうです、江戸指物は、人間の生きている時間に合わせて作られているのです。
そうです、時の経過こそ、真の美というべきです!「美」は生きているのです。時の経過によって、美しく輝き、また、美しく色あせていくのです。そのすべてを美しいと感じることが、日本人の美の感覚なのだと思います。