17文字で江戸指物を表現する、という無謀な試みです。
うまく伝わりますでしょうか?

ノミ叩く 鎚(ツチ)の響きの いさぎよさ
仕事する 後ろ姿に 惚れ直し
名人と 他人(ヒト)に言われて 桑物師
指物師 削ったクズが 自慢なり
作り終え 後は知らぬと 指物師
はかなげな 姿の奥に ホゾ仕込む
風流を 形に宿す 指物師

以上、いかがでしたか?
 私は、江戸指物とは最高級の木工品である、という説明ですべてを説明できると最初考えていました。
 今はどうかというと、何をもって最高級というか、悩んでいます。
 というのも、最高級の木材を使う、というのも正解なら、最高級の技術を駆使して作られる、というのも正解であり、また、最も高価な木工品である、というのも正解です。
 しかし、そのどれも江戸指物の本質を衝いてはいません。

 先日、私の一つ年下の弟の同級生が来てくれました。彼は、常心亭の昔の家の3軒隣の薬局の次男坊でした。彼は、早めに職を辞し、現在は大学の講義を聴いて回る毎日だそうです。彼の飼っていた犬が、先日死んだそうです。19年生きたその犬は、死ぬ1週間前から何も食べなくなり、自ら衰弱することを選び、1週間後に彼の娘2人と孫と、彼ら夫婦に見守られて、彼の奥さんの膝の上で大往生を遂げたそうです。
 「犬というのは、自分の死ぬ時期を考えて、家族の集まれる日曜日に合わせたんだと思う」と彼は言いました。いったい、このようなことはめったにないと思います。彼ら家族の日々の愛情の深さが推し量れると思います。
 真の愛情というのは、溺愛ではなく、覚めたものでもなく、なんと言っていいか、味わってみなければわからないもので、説明のしようがないもののように思われます。しかし、真の愛情は、犬でもわかるものなのです。

 この真の愛情を、江戸指物師は木に注いでいるように思われてなりません。しかも、命のある木を削って作るのです。そうして出来た製品には、新しい命が誕生しているように思われてなりません。
 そのくらいの覚悟で、江戸指物師は江戸指物を作っていると感じています。

 これが、私が長い間江戸指物に携わって得た結論のような気がします。


 弟の同級生だった彼は、考えてみたら、不思議な生き方をしています。彼が大学の講義で何を聴いているかというと、宇宙の生成についてだそうです。かれは「宇宙の誕生については、誕生後1秒から先のことについてはもう分かっているが、最初の1秒までの間がどうしても分からないのだそうで、今世界中がその研究をしている」のだそうです。
 この、あふれるほどの家族愛にあふれた彼が、宇宙の生成について講義を聴きまわっている姿を誰が想像できるでしょう?誰がその理由を理解できるでしょう?でも、彼はそんなことは一切気にしないのです。彼は彼の自由な人生をいきいきと生きているだけなのだと思います。

 命というのは1種類だけなのだと思いますが。表現のしかたは千差万別なのが当たり前なのではないでしょうか?命を大切にする、ということは、千差万別を認める、ということです。その千差万別を愛する、ということは、なんて美しいことなのでしょう!

 江戸指物も千差万別でいいのだと思います。こうでなければならない、ということはないということです。ただ、愛が感じられればいいのです。美しいと感じられればいいのです。生きていて良かったと思えればそれでいいのです。暖かく、楽しく感じられるものを選んでください。
 私は、江戸指物にそれを感じています。

常心亭 矢尾板義雄
10/26 江戸指物師の皆さんとはぜ釣りに行ってまいりました。
雨模様で寒く、釣果はたいした事ありませんでしたが、楽しい一日でした。
江戸指物師の一年には、季節ごとの楽しみがあります。
春には梅見、夏は竹の子狩り、秋にはハゼ釣り、冬にはフグ釣りと、みんなで遊びます。
特に釣りは、道具選びから、仕掛けの工夫、手返しの早さなど、指物製作にとても重要なヒントがたくさん詰まっているそうです。ですから、毎回工夫を凝らしてきます。
また、捕ったものは自分で調理して周りに分けたりして、全部食べつくします。
江戸指物師は、一日中部屋の中で製作していますから、たまには大自然の中で陽の光を浴びてグーッと伸びをする必要があるようです。
 江戸指物と木工品とはどこが違うのでしょうか?どちらも木材で作られています。どちらも生活用品です。そうです、江戸指物は木工品の一つと言うことが出来ます。けれど、私は江戸指物は、「1ランク上の木工品」でなければならない、と考えています。
 材料の吟味、加工の精度、道具の扱い方、より良いものを求める姿勢等、すべてに必要以上の完成度を追求していかなければならないと考えています。
 このくらいでいいだろう、という程度では江戸指物とはいえないと思います。
 単なる木工品ではなく、木工品プラス、遊び心や、一つ上の表現力、理想を追求する真摯な姿勢、それらを、しゃしゃり出ない日本美に包み込んでこそ、「江戸指物」ということが出来ると思います。
江戸指物は、木の育った期間と同じ期間、使い続けられるように組み立てる技術を開発しました。また、春夏秋冬、湿度の急激な変化等によって、木が反ったり割れたりする性質を十分に研究して、組み立てる方向や、組む堅さなどを微妙に調節し、接着剤のつけ方など、それぞれの場所に、適切な技法を用いて、長い間変わらずに使い続けることが出来る製品に作り上げるのです。そして、その表面を拭漆という、杢目を生かす丈夫な塗装を施すことによって、変わらない美しさを保つことに成功したのです。
江戸指物は、毎日の生活に役立つものでなくてはなりません。鑑賞するだけのものは江戸指物ではありません。生活に必要なさまざまなものを、収納したり、飾ったりできなければなりません。また、姿を見たり、手紙を書いたり、座ったり、そのほか、あらゆる生活動作に役立たなければなりません。そのために江戸指物は、抽斗、棚、盆、箱、扉、台、鏡などを組み合わせて出来ています。
自然の中の木を美しいと感じる人は、世界中にいらっしゃると思います。しかし、加工した木材に「美」を感じる人は、それほどいらっしゃらないのではないでしょうか?それでは、加工した木材から「美」を感じさせることができる人はいるでしょうか?日本では、彼らのことを、江戸指物師と呼んでいます。
つたない文章ですが、江戸指物のことや伝統工芸としての和家具のことなど、思いつくままにつぶやいてみようかと思っております。どうかごひいきにしていただければ幸いです。